独り占め


練習室の真ん中で、私は大きく深呼吸して気合いを入れた。
これから柚木先輩がセッションに付き合ってくれることになっていた、もちろん私が頼んだので。

わざわざ呼び出すのだから、「またご指名とはね」の呆れ声――もとい嫌味なんかは覚悟の上。
それでも構わないというくらい今日の私はやる気に満ちていた。心の準備は万端だ。
ところが、練習室に姿を見せた柚木先輩が開口一番、「へえ……今日はずいぶん綺麗にしているじゃないか」と言ったので、驚きのあまり何もかも頭からすっ飛んでしまったのだった。

「あの……公園で練習していたら、“みっともないヤツ”って言われちゃったから……」
言い訳めいたことをもごもご話すと、彼は少し眉根を寄せた。
「誰に?学院の生徒か」
「通りがかった男性……かな、知らない人です。見た目は気を遣ってたけど、でも確かに風は強かったし、早起きでクマもあったかも……」
「昨日また遅くまで練習して寝不足だった、の間違いじゃないか?」
「あっ!……あ、いや……ちゃんと寝ました」
「俺に嘘をつくの?」
「う……」
「本当にお前は人の忠告が聞けない子だね。そろそろ聞き分けがないのも止めにしないと……この間みたいに倒れても助けてやらないよ」
「はい……」
「ふうん、それで」

みっともない、ね、と柚木はヴァイオリンを手にした私を上から下までスッと眺めた。
「通行人にけなされて自信を無くしたから、客観的な判断のできる俺を呼んだ……ということ?」
違う、と言いたい。けれど違わないようでもあり、私はうつむいて返答を考えた。

いつもの練習場所がどこも使えそうになかった午前中、私は柚木先輩に聞かせるつもりでいた1曲を選び、外で黙々と繰り返し演奏していた。
その曲には自信があった。それだけに、赤の他人から責任のない悪口をぶつけられたときは相当にヘコんだ――が、私ははたと先輩の言葉を思い出した。
いつだったか同じように外で練習していたら、彼に「不格好な姿」だの「みっともない格好」だの言われて、クシを差し出されたことがあったのだ。

学院に戻ると私は何よりもまず髪を梳かした。更に編み込みをして柔らかに束ねる。これで髪が乱れていると言われることはないだろう。
簡単にメイクもした。明るいファンデーションを軽くはたき、色のついたリップをのせる。

その頃には、ヤジを飛ばされたことなどどうでもよくなっていた。
携帯電話で先輩を呼び出しながら、ヘアとメイクに気付いてくれたらいいなと思い始めていた。
何よりも楽器が上手に弾けなければ彼は認めてくれないと、頭ではわかっているのだけれど。

つまり事の次第はこう。
「通行人にけなされたため自信回復に努めたところ、演奏に関しても前向きになった。客観的な判断をしてくれる柚木先輩には元々セッションを頼むつもりだったが、今すぐ是非見てもらいたくなった」ということだ。
先輩が言ったことは大体合っているけど少し違う、上手く言えないけど。

そんな風にごちゃごちゃと、頭の中に理由は浮かんでいた。でも今すぐ明瞭かつ論理的に説明するのは難しい。
私は言葉を濁した。
「いえ、それはまた別の件で……」
柚木先輩は目を細めた。真っ直ぐに見つめられてたまらず、視線を斜めに逸らす。
すると彼は一呼吸置いたあと、「恐らく」と続けた。

「制服を着た学生の容姿についてとやかく言うことはないだろう。お前があまりにも必死に練習していたから、みっともないと感じたのかもしれないね」
意外なアドバイスに、思わず目をみはる。
「私の……弾き方が悪かったんでしょうか」
「観客のことを考えない身勝手な演奏は、気持ちの良いものではないだろう」
「あ……」

私は自分の練習を思い返す。
そういえば、外にいたにも関わらず、部屋に1人でいるときのように好き勝手弾いていた気がする。
聞かせようと思って奏でる優れた音楽でさえ批判を浴びるものなのに、聞かせる気のないメロディは確かに酷かっただろうし、人目を憚らない様子はみっともないものだったはずだ。
実際私は、ヤジを飛ばしてきた人の性別もはっきりとはわからないほど周りが見えていなかった。
ようやく理解し、目からウロコが落ちたようだった。それなら改善方法はある。心がスッと軽くなる。

「そうですよね……外にいるときは余裕を持って、聞かせるつもりで練習しなくちゃ」
「初歩的なことだけれど」
「はい……」
「身なりのことは一度注意しておいただろう、それさえ守っていれば余計な気を回す必要はないよ。今日は特に良く出来ているしね」

褒められた。
いつも遠回しに、良いんだか悪いんだかわからないような批評をする柚木先輩に褒められた。
それが嬉しくて私は思わずはにかんで礼を言う、すると彼は一拍置いて、微かに意地悪な笑みを浮かべた。

「俺が褒めてやったんだから余裕が無いとはもう言わせない。安心したなら上手く弾けるだろうね?失敗したら許さないよ」
「は、はいっ」
「見返してやるくらいの演奏ができるといいが……お気に入りのお前がおとしめられるのは、良い気分ではないからね」
「……、でも」

意外だった。何だかんだで叱られると思った。
ところが彼は、悪口を言われたなら見返してやれと言う。

柚木先輩は以前、音楽祭の代表に選ばれた私を辞退させるために、わざと私を特別扱いした。そうすれば、彼の親衛隊が私を攻撃の的にするからだ。
私が冷たい視線を浴び非難されている間、彼は穏やかな微笑みを貼り付けたままその様子を見ていた――のに。
その非難はよくて、今回はだめだと言う。
親衛隊に嫉妬されること、身だしなみがきちんとしていないこと、赤の他人に中傷されること。
何がよくて何がだめなのだろう。

尋ねてみると、彼は少しだけ不機嫌そうに「可愛くないね」と応じた。
こちらが眉を八の字にすると彼はため息を吐いた。
「俺がわざわざ見に来てやっているのに、生意気な口をきくひまがあるらしいな。まったく……ほら、練習をしないのか」

私は慌てて、お願いしますと軽く頭を下げた。
柚木先輩は持ってきていたフルートをケースに入れたまま置いた。

「えっ」
思わず小さく声を上げてしまう。何か気に障ったのだろうか。
急いで自分の言動を思い返している間に、彼が私の方へ歩み寄ってきた。

ヴァイオリンと弓とを手にして固まっている私、衣擦れの音、彼は上から唇を重ねた。
「!――」
艶やかなリップに柔らかく、彼は、粉砂糖をすくうかのようにそっと舌先で触れた。
身がすくむような感じがして、喉の奥から微かな呻きとも喘ぎともつかない高い音が漏れてしまう。

「……、通りすがりの男に可愛いと言わせるためにつけたのか?」
「ちが……」
体温が上昇してしまう。そんなわけない、先輩もわかってるはずと反論したいのに、上手く言い返せない。

二度目のキス。
両手がふさがっているから、相手の肩に手をかけることも出来ない。
唇がふさがっているから、どんな一言も発せられない。
緩い拘束。ただの意地悪だとわかっているのに、生真面目に赤くなってしまうのが、何も反論できないのがもどかしい。

「……俺にこうしてほしかった?」
囁かれる。気持ちを悟られるのはいやだ。咎められるより、見つめられるより、褒められるよりずっと恥ずかしい。
ひどい、私が何をしたっていうんだろう。しかし先輩は更に私の耳元で低い声を落とす。
「卑しい子だねお前は、そんなあざとい真似をしなくとも、いくらでもしてやるのに」

あとでねと言って彼は離れ、フルートを取り出した、何事もなかったかのように。
真っ赤になった私はいっぱいいっぱいのままで、ヴァイオリンを弱々しく構えるばかり。
先輩は満足げに微笑むと、艶やかなフルートに唇を寄せていつでもどうぞと言ったのだ。


あとがき
モバゲープレイ記念。ゲームはまだ全く途中にもかかわらず恋人妄想。夢主は柚木を中心に生活しているけど、柚木は彼女が他人の影響を受けるのが嫌だと思ってる風…かな…(1012.10.31)

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