新たな生活は、ちょっと……いや、ちょっとどころじゃなく、変わったものになっていた。



「あー!!!また百がタコさんウィンナー持ってった!!!!」

泉君の何度目かの大絶叫の後、うんざりしながら横に陣取っている人物を見れば…。

「当然だ。竜胆の物は俺の物。俺の物は竜胆の物。なぁ?」

屋上で秋の薄ら寒い風を感じながら、私は箸でそいつを目潰ししたい衝動にかられる。
それを察したのだろうか、奴は以前より短めに「設定」してある髪をなびかせながら、
ちょっと肩を竦めた。
今までつついていた私のお弁当箱を覗けば…確かに無い。
今朝根性で作ってきたタコさんがいない。
「もう…佐野さんも何か言ってやんなよ!!」
ねぇ!と見上げてくる泉君は必死そのものだ。
どうして私のお弁当のおかずを持ってかれたことで其処まで怒るんだか。
…それに私の作ったタコさんなんて、大したことじゃないと思うけどね…。
「…いいよ別に。また作るしね」
呆れながら言えば、分ってない!と泉君が頬を膨らませた。
相変わらず、こういう表情は萌え以外の何者でもない。
思わずにたにたしていると、横からまた手が伸びてきた。
「あっ、それは駄目!!」
あー。と口を空けていた百にストップをかければ、箸で卵焼きを持った状態のまま静止して、
何で。という風な視線だけをこちらに寄越す。
その視線を受けて、う、と動きが止まる。
「…んーと…それ、焦げてるから…」
…そう。そうさ。悪いが料理は得意じゃないわけよ。
食ったらガンになるよ。と言おうとして…
…多分神様は死ぬことって無いんだろうから、やめる。
百は一瞬まじまじと卵焼きを見つめた後、私の口元にずいっと差し出す。
「…何よ?」
「お前が食べればいい。苦いのは嫌いだ」
…この神様は。
不味い物は人に食わせるってことかよ。
「…大体、あんたのお弁当にも入ってたでしょ?」

そう。
百のお弁当も、実は私の作ったものである。
元々百は神様なので食事をする必要が無いらしく、ついこの前までお昼は何も口にしていなかった。
でも何故だか黙ってそれを見ているわけにも行かず…私の作ったものでよければ、
と恥を忍んで申し出てみれば、案外喜んで受け取ってもらえたのである。
それから私はこいつのお弁当も、朝一緒に作ってきてるというわけ。
…恋人にお弁当、なんてシチュエーションは正直最初と惑ったけど…
今となって慣れたものだ。

なのに。だ。
なのにこいつはわざわざ私のお弁当から掻っ攫っていくのである。
挙句、自分で食べてみて不味いと分っているであろう卵焼きをつまむ始末。
全く、何がしたいんだか…。
「いいから食わぬか」
他の物が食えぬ。
「もう、あんたは一体何がしたいわけよ…」
しょうがなく、百の箸から卵焼きを食べる。
もしゃもしゃと咀嚼している私の横で、百が満足そうに頷いた。
…本当に、何がしたいんだか。
と、ふと隣に違和感を感じてみてみれば…。
今度は泉君が石と化している。
見事な石化だ。
「ろうふぃたほ?いうみふん」
翻訳すると「どうしたの?泉君」である。
…口の中に物が入ったまま喋る行儀の悪さは、この際見逃して欲しい。
それはともかく、泉君が私の顔をじっと見ているのだが…
なんと、その瞳が徐々にうるうると涙をためていくではないか!
これはただごとじゃない、何とか卵焼きを飲み込む。
「い、泉君っ?!どうしちゃったの?!何かあった??」
むせそうになりながらも言えば、酷いよ、との呟き。
「何がさ?!何が酷いのさ?!」
まさか百が何かしたとか?!
ちらりと横目で百を見やれば、いつものように学ランの前を空けて
遠くをぼんやり眺めている。
…我関せず、といった感じ。

「…違うよ…佐野さん、どうしてそういう場面を、俺の目の前で見せびらかすの?!」

…。
いまいち話が見えない。
「…いや、何が?」
頭をぽりぽり掻きながら居心地悪く尋ねれば、そうやってとぼけるんだから!
とのお言葉。
…とぼけたわけじゃないんだけどね。
しょっちゅうとぼけた顔はしてるかもしんないけどね。
「あーんvってやった!!今百からあーんvvってやってもらってた!!俺もやりたい!!」
言いながら泉君は私の箸を奪い、手近にあったブロッコリーをぶすっと突き刺す。
その様はまるで墓標。
…泉君。どうしたんだ。君に一体何が。

けど、考えてみりゃ確かに…『あーんv』しちゃったなぁ。
多分この神様はそんなこと気にしちゃいないんだろうけど。
…何かちょっと照れるじゃんか…今更だけど。

ぼうっとしていた私の前に、墓標のようなブロッコリーがずいっと出てくる。
いや、もう墓標ですらない。モーニングスターのよう…。
「さぁ、食べて!!」
…ちょっと怖いっすよ先生。
萌えキャラはこんな一面も持ち合わせてるもんなんだろうか。
「う、うん…じゃあ、いただきます」
言いながら、まくっと。一口で頂きました。
もしゃもしゃ咀嚼している私を、じぃっと泉君の褐色の大きな瞳が覗き込んでいる。
きらきらしちゃって、本当に綺麗。
「どう?おいしい?」
今朝頑張って作ってみたのvなんて続きそうな紅いほっぺの彼が聞くもんだから、
思わず赤べこのようにぐるんぐるん頷く。
すると彼は花が咲くように微笑む。ああ、本当に可愛い…。
「良かったv嬉しいなあ。ねぇ、今度から俺がこうやって食べさせてあげよっか?」
…それは遠慮したいです。多分酸欠か出血多量で死ぬから。
「…らいほふらよ」(大丈夫だよ)
苦笑してもごもごと言えば、泉君はちぇ、と言いながらも晴れやかに笑う。
嗚呼。本当に可愛い…!
このまま服なんてむしり取ってその白く甘い肌の至る所に赤い刻印(自主規制)

一人むふむふ言いながら妄想している私のお弁当箱に、またにゅっと手が伸びてきた。
…妄想を邪魔されたことでぎろりと睨めば、どうやら自分のお弁当は完食したらしい百様が、
また私のお弁当をつまんだらしい。
睨む私に一度高慢に笑いかけて、百はそのままごろりと横になる。
頭の後ろで組んだ腕に頭を乗せて、秋の高い空を見てる。
緩んだ学ランから覗く臙脂のシャツの隙間から、浮き上がった鎖骨がちょっと見えて…
私は女の子の胸の谷間でも見たみたいに、ドキドキして目を逸らす。

そう。最近はずっとこんな調子なのだ。
百のちょっとした仕草に一人でドキドキして。発情期?って感じだ。
いよいよ百のこともオカズとして考えてるのか私の頭。
流石にそりゃ不味いだろうなぁ…。
何か、ねぇ。一応付き合ってるはずなんだけど、百は相変わらずだし。
私一人でペディグ○ーチャム見せられた犬みたいに涎だらだら流してハァハァしてるのも…
何だかなぁ。
…いや。ペディグリー○ャムじゃ、流石にハァハァしないけどね。一応。
でも…本当に、これじゃまるで犬みたい。冗談じゃないよなぁ。
ちょっと屋上に吹く風が眩しくて、膝を抱えた。



*******



図書室はいつも通り、静かだった。
学期が始まって知ったのだが。
驚いたことに、この図書室は学校が始まっても尚、常時無人状態だった。
いや、正確にはたった一人いるのだ。人が。
…天海先輩が。

「やっほーセンパイ。今日も人いないですねー」

がらがら〜っとドアを開けてみれば、やっぱり無人状態。
なので目当てのセンパイは直ぐに見つけられた。
白くて細くて長い指が、神経質そうに銀の眼鏡のブリッジを押し上げた。

「また貴方ですか」

本から目をあげもせずに、先輩は受付カウンターの中、本のページをめくる。
このやり取りは、学校が始まってから殆ど毎日繰り返されている光景。
「先輩ももーちょっと、とっつき易かったらモテるのにねぇ…」
ぶつぶつ言いながら本棚の上に手を伸ばして、お目当ての本を探る。
前は椅子を使ったけど、今は先輩が居るから使わない。いや、使えない。
「…何か言いましたか」
棘のある声音が聞こえたけど、別に、といってはぐらかす。
でも事実なのにね。あ。それじゃ慰めになってないのかな。
とっつき易ければ、凄く格好いい人なんだけどね。
泉君の話によると、先輩はどうやら頭も随分いいみたいだし。
絶対女の子受けするよねぇ。なんてことをぼそぼそ考えながら
背伸びしてふらふらしていると、急に背後から手がにゅっと伸びてきた。

「相変わらず、不器用な方ですね」

低い声がけだるげに呟いて、その本の背表紙に指をかけて引っ張る。
振り返れば何時の間に居たのか、先輩が面倒そうな顔をしながらも私に本を差し出したところだった。
片方の手には図書カードを持っていて…多分、後で処理してくれるってことなんだろう。
「有難う先輩…もしかして先輩って、ツンデレキャラ?」
むふ。と言いながらじと目で見れば、見た目にも明らかに、先輩の眉根が寄る。
不可解なものでも見るように、腕を組んで私を見下ろしている。
「…ツンドラ?」
いや。それは永久凍土の地域。
…ある意味先輩に近いかもだけどね。
先輩のツンツン具合は針葉樹みたいだし。
「違う違う、ツンデレ、つんでれ」
「つんでれ…?」
鸚鵡返しに呟きながら考えこむ先輩に、むふふ。と笑ってしまう。
だって何だか、先輩の賢い頭の中にも無い言語を知ってるのって、ちょっと優越感。
…どうしようもない単語だけどね。
「…気持ちの悪い方ですね」
先輩が気に入らない、とでも言うみたいに私に吐き捨てる。
またまた、強がっちゃって。
…いや。でも先輩の目はマジかもしれない。据わってる。
これ以上はやばいかな、と私はとりあえず退散することにしておいた。
本を先輩から掻っ攫う。
「じゃ、先輩また来ますね!さよならー」
何か言おうとした先輩からわたわたと離れて、急いでドアを閉めた。
…ふぅ。アレ以上居たら、きっとお小言の嵐だった。
我ながら素晴らしい危機回避能力!
冷や汗をぬぐっていると、廊下で手持ち無沙汰に待つ百の姿が見えた。

「百!ごめんねー。待った?」

百が振り返り私の姿を見止めると、床に置いていた鞄を取って歩いてきた。
放課後のこのやり取りも、いつもの光景になりつつある。
まばらに人の居る廊下に、百の姿はいつも際立っていた。
あの姿では分らなかったけど、百は人型の姿をしているととても足が長い。
それに、彼の白い肌に髪と学ランの黒はとてもよく映えた。
以前の姿のように切りそろえられたおかっぱではないけど、
真っ直ぐな綺麗な髪は、襟足まで長く細く伸びている。
前髪は目にかからない程度に、ランダムにしてあった。
前に一緒に海に出掛けた時の、あの姿。
…どうやら百は髪の長さも身体的な部位も自由に操作できるようだった。
便利だ。本当に便利だ。羨ましい…。
だけどやっぱり漆黒の狐のような瞳は、人間には持ち得ない…
矢張り何処か神聖な力を隠しきれて居ない。
とりあえず私には、そう見えた。
注意してみれば、それは泉君にも確認できる。

それはともかく…神様って便利ねぇ。なんて感心してしまう。
だって見た目を自分の思い通りに出来るってことになるから、
それなら絶世の美女になり放題なわけで。
泉君や百が絶世の美女だったら…流石にちょっと気味悪いけど。

そんなことをつらつら考えていると、目の前まで来ていた百が、
ぎゅうっと口角をあげた。
学生のフリした神様。百。…不思議な感じ。
思わずぼうっと見上げていると、百は軽く首を傾げた。
「どうした。また天海に何か言われたか?」
さして心配そうでもなく、私の顔を覗き込む。
その瞳の中に、ぼんやり百を見上げてる私の姿が見えた。
…やっぱり、不思議な感じ。
「…ううん、そういうわけじゃないよ。とにかく、待ったでしょ?帰ろっか」
歩き出した私の横に並んで百も歩き出す。
百は足が長いからコンパスの短い私に歩調を合わせてくれてるってことに、
最近やっと気付いた。
前まで、百が見えたり見えなかったりした時は、
そんなことにも気付かない程、いっぱいいっぱいだったんだろう。
…あんまり一緒に歩いたことなかったような気もするしね。
百が飛ぶから。

「…竜胆」

そういえば百は飛ぶとき、いっつも抱きしめてくれてた状態だったなぁ。
あの…私が告白した日以来、百とのスキンシップというか…
恋人らしい触れ合いは、してない。
…触ること。かぁ。

「竜胆」

何もべたべたして欲しいとかいうのではないけど、たまに…たまに、ちょっと、
ぎゅっとして欲しいな、とか、何時になったらキスしてくれるんだろ、とか。
思わないわけでもない。
確実に死ぬ程恥ずかしいだろうから、言えないけど。

「おい」

で、でも…。
こうして晴れて恋人同士vになったわけだから…そういうのが、あってもいいよねぇ。
…あ。
もしかして、百は神様だからそんな欲は無いのか?!
ううん、それだったら不味い。
私だけが年中発情期でハァハァしてなきゃいかんじゃないか。
…うう。そんな乙女はちょっと嫌だなぁ…。
でも百からは全くアプローチなしってことは、それもありうる。
私からまた百に…き、キスなんて、ちょっと今は無理だしなぁ…。
で、でもでも……触って欲しいなぁ…。
手を繋いだり、とかそういうの。やってみたいのに。
ああ、でも百がそういう欲無くて私一人で暴走してるのも、ちょっと哀しいし…。
静まれー。私の欲望ー。静まりたまへー。



「佐野竜胆!」



「ハイっ!!??静まりますけど何か?!」


あ。


と思った時には既に遅く、百が何だお前。という目で私を見ていた。
気が付けば下駄箱に着いてるし…。
「…お前は、一体何を考えていたのだ?」
含み笑いをこぼしながら、百が下駄箱から靴を出している。
私も慌ててそれに習いながら、既に玄関を出ようとしている百に追いつく。
「べ、別に…大したことじゃないんだけどね」
ふぃー。とムダに息をつきながら、何となく居心地の悪さを感じてしまう。
…だって、頭の中まっピンクだったんです、私も今日から妄想族です。
とは言えないから。ねぇ。
校門を出て直ぐに現れる林の奥からちらちら見える夕陽を眺めるフリをした。
この時間は人がまばらで、この辺には私達以外の人影は無かった。
「お前のことだ、所詮要らぬことばかり考えていたのだろう」
まぁ。要らんっちゃ要らんけど。
大事な問題といえば…大事のような…そうでもないような…。
「うん…んーと…ま、まぁいいじゃない」
話題を変えたくて無理やり笑いながら百を見れば、
本当に?とでも言いたげな瞳と視線が絡む。
「お前は実に嘘が下手だな。人間界では苦労する性分だ…まぁいい。
話してみろ、折角だから聞いてやろう。
俺の呼びかけにも答えられぬほど、何を考えていたのだ?」
あんまり上手いとは言えない塗装の道に、2人の影が大きく伸びている。
それをぼんやり見つめながら、どうしたものかと思う。
正直には言えない、けど…けど、知っててもらいたいような、気もする。
どうしようかなぁ。何て言えばいいんだろう。
もっと私に触って、じゃあんまりだし…。
「その…百と私は、恋人同士、なんだよね…?」
私の遠まわしな言い方に答える声は無く、百はただ黙って横を歩いている。
それに言いようの無い焦りを感じながら、恥ずかしさに俯いた。
「だからぁ…だから…あー…うん、まぁ、ね…」
そういうことなの。
よく分らないことをぶつぶつ言いながら…やっぱり言うべきじゃなかった、と思う。
現に百は何も言ってこないし。きっと呆れているんだろう。
そもそも何が言いたいのかも、伝わらないし。
やっぱ暫くはそういう展開を望めないってことなのかなぁ。
そりゃあ…急ぐつもりも無いけどね。
だって付き合うだなんて、こうして一緒に生活していけるなんて、
それだけで凄く幸せなんだし。

「竜胆」

ごちゃごちゃ考え込んでいた私に、急に百が呼びかける。
何となくまっすぐに百を見るのが躊躇われて、ちらりと見上げてみる。
泉君みたいに可愛かったら、こんなときでも可愛く見えるんだろうなぁ、
なんてことをちょっと思った。
「…ナニ?」
結局また直ぐに視線を外してしまいながら、遠くの夕焼けを眺めてるフリをしてみる。
「お前…」
言って、立ち止まった百が私の顔を覗き込んだ。
その所為で私は前に進めなくなって、百を見上げるしかなくなる。
私より頭一つ分くらい高い所にある、百の顔。

「今日は俺の家に泊まるか?」

………。

そうそう。これも外せない。百の奇行。いや、危言??
よく彼はこんな風にして聞いてくる。
…普通だったら、驚く。
其処まで進んだ関係を今すぐに持ちたいと望んでるわけじゃないだろうし、
勿論私もそのつもりなので別にどうってことは無いんだけど。
最近はその言葉がそういう意味だったら、まだ良かったんだろうか…なんてことまで思ってしまう。
ちなみに俺の家、とはあの神社のこと。
「そうだねぇ…行こうかな」
今まで私の中でぐるぐる渦巻いていた考えを一蹴するような提案に、
私はちょっと拍子抜けしたような、嬉しいような気持ちで頷いた。
何にせよ、今は百と一緒に居られりゃそれでいいのかもしれないしね。
「そうか。ではその時にまた話してもらおうか?此処では何だしな」
…スルーしたわけじゃなかったのね。




*******




思えば、此処に来るのも百が変身して以来ということになる。
私が告白した場所。私達が付き合い始めた場所。
木のひんやりした感じも、金色の祭壇も、白い花も暗く鮮やかな緑も、
何もかもそのまま。
「あー…変わらんねぇ、此処は」
「お前は寛ぎすぎだ」
床でゴロゴロしつつ深呼吸して呟く私の背後で社の扉を閉めながら、百が呟く。
言われたって、やめられない。
どうにも此処は居心地がいいらしい。
冷たい床も、やたらピカピカしてる祭壇も。
何処か落ち着いて、ごろごろしてしまう。
実際そこまで通い詰めてたわけでもないのに、不思議である。
そんなことをつらつら考えながら、手を伸ばして天井の木目を辿っていると、
そこに突如として百の顔が現れた。
さかさまになって見える百が、私を真上から見下ろして影になりながら、
にぃと唇を歪めた。
「おい竜胆」
…ちょっとびっくりしたけど、何だかなぁ、その笑顔は。
何か嫌な予感を感じながら、顔をちょっと顰める。
「…何」
奴は益々面白そうに笑みを深めている。
いよいよ怪しいぞ、この神様…。
「こうしていると思い出すなァ」
「…?何のこと?」
思い出す…?
そんなことを突然言われても、過去にこんなシチュエーションに
なったことは無いはずだ。
神様はいよいよ楽しげに、かつ怪しげに含み笑いなんぞもらしてやがります。
遂におかしくなったのかね。
「お前は眠っていて覚えていないのだろう。だが、俺は覚えているさ」
「だから、何のこと?」
多少いらつきさえ覚えながら問いかければ、それはそれはいやぁんな笑みが広がる。
もったいぶるようにちょっと間を置いて、
百は秘密でも囁くみたいに私の耳元に顔を近づける。


「お前のファーストキスの話さ」


一瞬、頭の中が冷静にその情報を処理する。
ああファーストキスね。最初のキスね。最初の接吻か。
なんて感じに。


「…ふーん…ファーストキス………って、ええええ?!」


多分、私は音速の域に達していたと思う。
何がって、仰向けに寝転がったまま、後ずさりするのが、である。
上から見たら相当面白かっただろう。地を滑ったように見えたかもしれない。
いや、むしろ水面を走るトカゲの如く。
ずざざざあああっと後ずさりした勢いのまま…
まぁ、想像通り、壁にごちっと頭をぶつけた。
それによって動きは止まったが…直ぐ頭を抱えるはめになった。
「ってえええ…!」
相当なスピードが出ていたのか、かなり、痛い。
ウーウー唸りながら頭を押さえる私に、影がかかる。
誰かなんて言うまでも無く、百。
やっぱり上から面白そうに覗き込んでいる。
「…少しは落ち着きというものを身につけたらどうなのだ」
明らかに面白がってるのに、そんな風に言って溜息なんてついてらっしゃる。
元は誰の原因だ。誰の。
ゼイゼイ言いながら身体を起こして、背を壁に預けた。
「あ…あんたは、突然何言い出すの…」
ふぁ、ファーストキスって…。
私のファーストキスは泉君だし、百と初めてキスしたのは…
…その、此処で、私が、しちゃったやつだし。
百の言う私が眠ってた、なんてシチュエーションは知らない。
ちょっと冷静になって考えてみると、本当に知らない。
一体何のことだろうか…。
私のそんな考えが顔に出ていたのだろう、
向かい合った百はあぐらに肘をついて頬杖しながらニヤニヤしている。
「…教えてやろうか?」
底意地の悪い笑みを浮かべる瞳が、まるで獲物でも追い詰めたように光ってる。
何だか、本能的に恐ろしい気がするんだけど…で、でも…気になる。
うう〜。でも今聞いたら、何か奴の思惑通りというか…。
「いや、お前が知りたくないのならばな」
無理に知る必要は無いさ。
簡単にさらりと言って、あらぬ方向に目を向ける。
思わせぶり且つ気障ったらしい(しかもワザとらしい…)仕草で、
私にちらりと一瞥を投げると共に、片目を閉じて見せる始末。
「……な、何か、あったわけ?此処で…」
寝込み襲われた…とか。
いや、この場合ピンクな意味じゃなく、私の寝込み襲って脳みそ一部食べた。とか…。
だってそうだと私が果てなく馬鹿な説明もつくじゃない。
思い切り訝しげに百を見ていたのだろう、奴が私の顔を見るなりまともに吹き出した。
「くっくっ…お前は…随分面白い顔をしているな…」
「っそうじゃなくて!もう、教えてくれたっていいじゃない…何があったわけ?」
半ば不貞腐れて問う私の両肩を、今まで笑っていた百が徐に掴む。
突然のことにちょっと何、と言い掛けた私を遮るように、一気に視界が回転した。
「うあっ、ちょ、ちょっと、百?」
仰向けにされて、気が付けば床に頭をぶつけないようにと素早く回された
百の腕を枕にしたような状態に。
また私は百を見上げる形になるが、百の顔は祭壇の光に逆光になっていて、
今度は上手く捉えることが出来なかった。
ただ目だけが影の中でもより一層黒く光っているな、とぼんやりその色を確認したその瞬間。
素早く覆いかぶさってきた百に驚く間もなく、私の口は塞がれていた。

何が起こったのか頭の中で上手く処理しきれずに、ただぎゅっと目を閉じた。
だってだっアナタ!びっくりするし恥ずかしいし、一体どういう顔してりゃいいんだ!?
真っ白になる思考回路の私を他所に、百は器用に角度を変える。
「んんっ…」
そろそろ苦しいんですけどー!!と、色気も何もないことを内心叫んで、
酸素をくれぇ、とばかりに薄く開いた唇の間から…。
「…は…んぅ…!?」
何かが…何かが入ってきやしたぜ…!!
焦って百の胸を押し返そうとするが、逆に後頭部を強く引き寄せられ、
身動きが取れなくなる。
今更心臓が破裂しそうだ、なんてことに気付いた。
歯をぞろり、と舐められた所で、やっと百の顔が離れる。
「っはぁ…は…」
多分、いや確実に私は真っ赤になってるだろうから、咄嗟に顔を背けた。
口元に手を当てれば、未だ濡れた感触。
ああ、そうか。百は私にあんなことをしてたわけね。…大問題なんだけどなぁ。
なんてことを、上手くまとまらない頭で考えていたら。
「矢張り抵抗がなければ楽しくないな。そうは思わぬか?」
にたり、と人の笑い笑みが降って来る。
「っ!!!ば、馬鹿じゃないの!!??あんたねぇ、大体眠ってる乙女に何てことすんのよ!!!」
今更のように起き上がりながら睨む…と言っても、
多分こんなに真っ赤じゃ威力の欠片も無いんだろうなぁ。
「暢気に寝てるお前が悪いんだぜ」
見せ付けるように紅い舌を出して舌なめずりして見せる…
…何か果てなくエロティックな神様に、クラクラと眩暈を覚える。
「油断も隙も無いんだから…!」
一瞬見蕩れてしまったことを誤魔化す為に、わざと呆れたみたいに軽く首を振る。
確かに…確かに、キスして欲しいな、なんて思ってたけど。
まさかこんなディープなブツをお見舞いされるとは思ってなかったしね。
焦った…そして未だに心臓がドキドキしてる。
きっと暫くは思い出してもドキドキしてしまうんだろうな。


「ところで竜胆、昼間の話は何だったのだ」

「……へ」

…まだ覚えてやがったわけか。
暫し固まった後、ぎこちない笑顔で百を見てみれば、
はよ話さんかい、という視線とぶつかる。
きっと百は思いも寄らないんだろうな。
私が欲求不満だったことも、今はこんな満ち足りて幸せだってことも。
百と触れ合うだけで、言葉を交わすだけで…隣に居ることが嬉しくて。
笑顔をかみ殺しながら、さて、どうやって話したらいいのかなぁ、なんて。
私は頭を抱える。








おわり








あとがき


お陰さまで色んな方からのご希望もありまして単発ssです。
有難う御座います。
何だこの幸せ全開なオーラは…。
ま。いいや。ベロチューしたしね(笑)

こんなんをちょくちょく書いていきたいと思ってます。


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