11・蜜の味
目覚めたのは、どのくらい経ってからだろうか。
夢うつつに、聞きなれた声を聞いたような気がするが…いまいち思い出せない。
あの後、どうしたんだっけ。
確か泉君に欲しいって言われて、逃げて、ずっと歩いてて…。
ああ。そっか。真貴さんが…。
でも、何だか今は全てが面倒だった。
眠くて、体が動かない。
指先を動かすことすら億劫だ。
そういえば、お母さんに連絡してないなぁ…。
ずっと忘れてたけど…今頃心配してたらどうしよう。
ああ。ああ。何だか酷く眠い。
その時、眠り続ける私の腕が何かに掴まれた。
なんだろうか、この感触。
じっとりと湿っている…手、なのかな。
誰かが傍に居るのだろうかと、渋々瞳をこじ開けた。
…はずだったのに、視界は真っ暗。目を閉じてるみたいに。
どうやら何かが、私の目を覆っているようだ。
嗚呼。どうやら夢の中に居るようだ。
眠りながら眠る夢を見るというやつだわ。
夢の中でもぼんやり解釈しながら、それを退けようと手を伸ばした瞬間、急激に夢から醒めた。
そして急に視界が開けて。
まず目に入ったのは、綺麗な青光りする黒髪。
「竜胆」
呼びかける声は。その声の主と同様に、酷く美しかった。
ぼんやり見つめ返す私に、いつもとちょっと様子の違う神様が、ふっと微笑む。
「…お前も女なら、涎を垂らすのはやめたらどうなのだ。嫁に行けぬぞ」
意地悪な声に、一気に目が覚めた。
覗き込む百に頭突きする勢いのまま起き上がれば、ヤツは難なくかわす。
「…うるさいわねっ!大体無断で乙女の寝顔見てんじゃない!!お金取るわよ!!」
恥ずかしさも手伝って起き抜けに怒鳴り散らせば、嫌味なくらい綺麗な顔が綻ぶ。
…何か、ちょっと穏やかに見えるけど。理由が見当たらない。
何となく勢いを削がれたような気になって、ぼんやりする頭で辺りを見回す。
…勿論、涎の跡を消すことも忘れない。
そこは、見たこともない祭壇のある部屋だった。
蝋燭の炎で金色に映し出された、綺麗な祭壇。
木の床が微かにぎしぎしと悲鳴を上げ、この場所が随分古いものであることを伝えている。
振り返ると、入り口らしき格子の扉が見えた。
向こうにはちらほらと、白い花が発光するように咲き誇っていた。
…何処かで見たことがあるような気がするけど…。
私がその光景にぼうっと釘付けになっていると、百が私の横にどっかりと腰を下ろした。
私の疑問を察したのだろう、百が助け舟を出してくれた。
「覚えておらぬか。ここは俺の社だ」
社…そうか。百が最初空飛んで連れてきてくれた神社ってことよね。
へぇ…中はこんな風になってたのね。
でも…どうしてだろう、此処に一度、一人きりで居たような気がするのは。
物珍しげに見渡す私を眺めていた百が、徐にふっと唇を歪める。
「…」
そして、もったいぶったように一瞬妙な間を置いた。
「…何?」
何か言いたそうな顔してるけど。
「…泉に、何と言うのだ?」
え。と大きく目を見開くと、嫌味ににやにやしてる百。
驚きで暫く固まった私に、百は相変わらず嫌味な視線を送る。
「え…ちょ、ななな何のことかなっ?!」
まさか…まさか、彼が知るはずは無いのに。もしかして、盗み聞きか?!
「俺は何でも知っているさ。俺は神だぜ…白状するんだな。付き合うのか?」
得意げに言い放っているけれど。嗚呼。人権もへったくれもありゃしない…。
嗚呼。どうして知ってるんだ。
何となくがっくりしながら、そういえば、と思い出す。
「そそそ、そんなのはいいでしょ…それより、私、あの後どうしたんだろう。
真貴さんは?確か途中まで送ってくれたはずだったんだけど…百もどうして此処に?」
話を逸らしたい一心で問いながら、本当にどうしたのだろうかと疑問に思う。
多分お姫様だっこされながら眠ってしまったんだろうけど…。
嗚呼。ごめんなさい真貴さん。重かったでしょうに。
何だか私は神様に迷惑をかけるのが得意のようだ。
「真貴がお前を此処まで連れてきた。奴は近頃忙しいらしくてな。
ああ、それと…お前の家族には連絡をしてある。心配には及ばぬ」
「…そっか」
何だか私の知らないうちに、色々やっておいてくれたのだろう。
けれど…眠気もさめて冷静になってくると、またちょっと気が重い。
だって。
私は百が好きなんだって気付いちゃったし、泉君には好きって(?)言われちゃうし。
複雑だなぁ……張本人は普通に目の前に居るし。
「あのさ、あの、百。悪いんだけど、今日…疲れちゃって。家まで送ってくれる?」
多少控えめに言えば、百は軽く頷いた
…けど
「…先程の俺の質問に答えてからならば、送ってやろう」
にたにたしながら言ってる辺り、多分確実に面白がっているのだろう。
…彼にとっては、そんなこと、どうだっていいはずなのに。
何処かに溝が出来たような心が、泉君の言った言葉を捉えた気がした。
「……何で?」
思わず必要以上に硬くなって呟くように言えば、彼は益々笑みを深める。
「俺は面白いことが好きだからだ。他に理由があるか?」
その言葉に、急に辺りが真っ暗になったような気がした。
無邪気、とはこういうことをさすのだろう。
彼はまるで子どものよう。
…それはつまり、私と泉君の関係だって、彼にとってはただの見世物程度ということ。
だから、やっぱり、私がどうなったって、いいってことで。
泉君と付き合ったりしても、何も思わない。てことで。
…当然なんだけど。
そんなの、当然なんだけど、互いに必死な、私達を嗤われた気がして。
「…っいい加減にしてよ」
立ち上がりざま言って、私は急に血が頭にのぼるのを感じた。
だって。そんなのって無いじゃない。
私だって泉君だって、必死に誰かを好きなのに。
百は急に態度が変わった私を、いつものように無表情に見上げているだけ。
彼にしては、どうして突然私がこんなに怒るのか、解らないのだろう。
「私は百の玩具じゃないの!神様だからって、人の気持ちを踏みにじったりしないで」
言い切って、私は痛くなってきた頭を抱えた。何だかまた視界がぶれてくる。
私の荒い呼吸が静かな空間に木霊して、その音も消えた頃、百が私と同じく、立ち上がった。
そして、睨みつける私を興味なさそうに見ながら、徐に強い力で私の両肩を掴む。
「っ…!!」
急な痛みに顔を顰めると、衝撃で涙がぼろぼろと零れ落ちた。
そして、彼の綺麗な綺麗な…綺麗過ぎる顔が、ずいっと私に近寄ってくる。
恐くなって身体を引こうとするが、強くなる戒めに抗えない。
「なぁ竜胆…奴は何だと思う?奴は物の怪なのだよ。お前と同じ人間などではないのだ。
そんな物の怪が人間に恋をしたとなるとどうだ?それは非常に愉快だとは思わぬか?」
歌でも歌うように言いながら、百は楽しそうに目を細めた。
いつもの百じゃないみたいで恐ろしくて、身体は引こうとするけど、離してはくれない。
けれど。
嗚呼やっぱり。泉君も普通の人じゃなかったんだ。
解ってはいたけれど。
「…そんなの、知ってるわ!でも、彼が私を好きだって言ったっていいじゃない!
私だって…!!!」
私だって、神様の百が好きなんだから。
言いかけて、口を押さえる。
まだだ。
まだ、言えない。
だってまだ、何の覚悟もしていないんだもの。
今度は急に黙りこくった私を、百は突き放すようにして開放した。
こんなときでも…百がちょっと怖く思っても、急に手放されると、
やっぱりちょっと寂しくなる。もっと触れて欲しいなんて、思ってしまう。
けれど百は、そんなことはまるで感じていないのだ。
「受け入れるのか?ヤツを?」
ふん、と鼻で笑った後ありえんな、と小さく呟いた。
「…どうして。どうだっていいじゃない。
百にとっては、私達の関係なんて、ただの娯楽程度なんでしょ?」
自棄になっている私を一瞥して、百が急に考え込むような顔をする。
今までの無表情が嘘みたいに真剣な表情で。
「…人外のものと交わるということがどういうことなのか、お前にはまるで解っていない。
竜胆、お前は愚かな娘だ」
「…どうせ愚かだわよ」
鼻を啜りながらぷいっと横を向けば、百がぼんやりと私の方を見やって、珍しく溜息を吐く。
「…バカめ。泉なんぞを好きになるヤツがあるか」
やってられんな。と呟く百の声を聞きながら、思わず私もぼそっと言い返す。
「…別に、そういう意味で好きなわけじゃないもん。私の好きな人は、泉君じゃないもん…」
嗚呼。全く。
どうして本当に好きな人の前でこんなこと言わなきゃならんのだ。と百の真似をしながら、内心拗ねてみる。
いや、百の真似に深い意味は無いけど。
「ふぅん。そうであったか」
「……大体、人外って。あんたもそうじゃないの」
そうそう。普通に友達してるし。その中で恋愛が絡んでも不思議じゃないと思うけど。
何をそんなに渋っているのか。この神様は。
それに…どうして私が泉君と付き合うのが「ありえん」のだか。
もう…訳がわかんないよ。
はぁ。と息を吐いて、またぺたりと座り込む。
何か怒ったりしたらもっと疲れたよ…ただでさえ色々ありすぎた一日なのに。
色々考えなきゃいけないだろうし、色々心の整理もつけたいんだけどなぁ…。
ぼんやりしたまま、徐に格子の扉に手を掛ける。
神社の周辺は以前と同じほの暗く、白い花の光が眩しかった。
風は少しだけ火照った私の頬を程よく掠めて、社の中までも浄化するように流れ込む。
四つんばいのままずるずると移動していた私は、扉の前にある石階段に座り込んだ。
石はジーンズ越しにもひんやりしてて、気持ちいい。
柱に寄りかかって、相変わらずぼんやりと暗く、でも不思議と心地よい森の空気を吸い込む。
ちらりと中を振り返ると、百も座り込んで私を眺めていた。
そして徐に
「…疲れているようだな、竜胆」
ええ。まぁそりゃね。流石に疲れたかも。
人外の萌えキャラに告白されるし、両性類の神様(?)に会っちゃうし、
…いい加減な山の神様に恋心自覚しちゃったり。
「…あーあ…家帰らなきゃなぁ…」
でも家帰るのも、今は面倒のような気もするし…。
かと言ってずっと此処には居られないし…。
溜息を吐いて悶々とする私を他所に、出し抜けに百様がとんでもないことを仰る。
「今日は此処に泊まるか?お前の両親も、今日は帰らぬようだしな」
私が固まったのは言うまでもない。
*************
話によると…百様が直々に親に会ってきた、らしい。
というか、私の家を出るとき母に
「竜胆だが、恐らく今日は帰宅が遅くなるだろう」
とだけ言ってくれたらしい。
…それだけ言われたら親は不安になる。普通は…。
が、家の親は何と。嬉々として許可していたらしい。
曰く、
「今日はお友達の家にお泊りだし、お父さんはお仕事で帰れないから、
戸締りだけはしっかりしておいてね。お夕飯は自分で何とかするのよv」
だそう。
…適当な母なことは解っていたが…
こんな怪しげな風貌の百様の言葉をそうも簡単に信じ込むとは…
ある意味ツワモノである。
で。
「何故そうも驚くか…以前お前の家に泊まってしまったからなぁ。それの礼だ」
礼たって旦那様。
確かに嬉しい申し出なんだけど、と私は頭を抱える。
嬉しいけど…今は一人がいいけど、百と一緒にも居たいし。
でも、種族こそ違えど男女が一緒に…ていうのは、まだちょっとご遠慮したいし…
でもそんな空気になるわけはないし…でも、意識しちゃうし…
…好き、なんだから。
一通りぐるぐる悩む私の横で、訝しげに百が見ている。
嗚呼。まるで何も解っちゃいない。ちょっと悲しいじゃないのさ。
あー…もう。
「…あ。あのさ…その、私、枕違うと眠れなかったりするんだよね…」
おずおずと申し出てみれば、百がちょっと驚いたように目を見開き…
次には、ちょっと不服そうな顔をする。
「そうなのか?我侭なヤツめ」
「わ、我侭で結構じゃないの!乙女の我侭くらい聞いてよ、あんたも一応神様なんだし」
いちおう、に力を入れて言ってみても、百はいつもみたいに皮肉げに笑った。
そして徐に立ち上がり、何をするのかと瞬きして見上げる私に、ちょっとだけ笑みを深めて見せた。
「…いいだろう、暫し待て」
言いながら、見向きもせずに手を翳して…何してんだか、と首を傾げるていると。
後ろで、ぽすん、という軽い音がする。そう。何かが落ちてきたみたいな音が。
急いで社の中を振り返ると…何と、何と!!
私の自室にあるはずの枕が、ぽつんと落ちているではないかッ!!!
百を見上げれば、ふふんと高慢な態度を隠そうともせず、ヤツは腕組をして私を見下ろしている。
「…これで問題は無いな?」
……まぁね。そうなんだけど。
そうなんだけど、何か違うよね。
その後も、さっき怒ったのが嘘みたいに自然とグダグダして。
いつもみたいにぐーたらしながら、取りとめもない話をしてた。
枕を抱き枕みたいにして、冷たい床の上でゴロゴロしていると、何だか不思議と安心したのだ。
いつもの柔らかいベッドじゃなくて、ただの木の硬い床の上だというのに。不思議である。
…その安心感には、百の住居って所が一役買っていたりして。なんてことを思いながら、
時間の感覚の無いこの部屋で、静かに時間は流れていた。
そして、一瞬会話が途切れた後、同じように寝転がっていた百が、徐に私の顔をじっと見つめた。
「…竜胆」
確認するみたいな呼び方、と感じて社の外を見ていた私が振り向けば、百がちょっと笑う。
そういえば、彼は非常によく笑う人(神様?)だなぁ…。
「何?」
ぼんやりと、また視線を外に泳がせていると、
「俺はずっと疑問だったのだが…人間同士は、何故接吻けるのだ?」
効果音があるとしたら、アレだ。
放送禁止用語を発した時の、「ズギューン!!!!」という音が相応しいと思う。
ごん。と見事な音を響かせて、私の大切な頭部は床にめり込む勢いで撃沈した。
「…お前は遂に頭がおかしくなったのか?」
冷静な声が、やれやれ、と溜息混じりに呟く。
「…仮にそうだとしても、それは絶対あんたの所為だわよ」
痛む額を押さえて起き上がり、何となく百から目をあわせられない。
そんなこと今日初めて経験したのに、どうして答えられるのでしょうか。
…そういえば、ファーストキス、だったんだなぁ。何かちょっと強引ではあったけど。
自然と、指が唇を辿った。感触はもう思い出せないけど…アレが、キスだったんだ…。
「で?何故だ」
はっとして顔を上げると、本当に疑問に思っているのだろう、
早よ答えんかい。という文字がありありと見て取れた。
「えー…とぉ…んー…わ、私にも分んない、かな…?」
大真面目にそんなこと聞かれると、照れてうまく言葉が紡げない。
何だか百の口から接吻けるとか、そういう単語が出るだけでドキドキするのに。
そんな人間の幽かな心理など露知らず、百は不服そうに眉をしかめる。
そして。無言で答えを促すから…私は耐えられなくなって、百に背を向けた。
「あ…あの、私、もう寝るからっ!!おやすみ!」
我ながらかなり不自然だけど…しょうがない。
だって、本当に答えられないし、照れちゃうし…。
でも、神様同士はキスしたりしないのかな…分らないってことは、そゆことよね…。
背後にいる百はもう何も言わずに、ただ風の音だけが響いていた。
すると不思議なもので、自然とドキドキも収まり…知らない内に眠りに落ちていた。
いや。只単に私が何処でも眠れる図太い奴だというわけじゃ、決してなく。
さやさやと空気の流れる音に身を任せながら、直ぐに眠りに落ちた彼女の背を見つめる。
細く小さな肉体。
アレがどうしてああも、神々の目を楽しませるのか。
真貴から奪ってこなければ、ヤツもきっと竜胆を赤子か何かのように、
後生大事に抱えていたかもしれない。
そう。真貴が此処に、竜胆を置いていったというのは、嘘だ。
俺はただ、竜胆を奪いたかっただけだ。真貴の腕の中で眠る、あの人間を。
泉薫が竜胆に何をしたのかも、全て視得ていたし、そうなるだろうことは、既に解っていた。
真貴が、竜胆を追いかけようとする俺を止めたのには、流石に驚いたが。
奴曰く
「あんたじゃ、今の竜胆ちゃんに何も出来ない」
のだそうだが。
竜胆の居場所はずっと感知していたし、竜胆の心が不安定なことも、何となく解ってはいた。
しかし奴は真貴と話すうちにみるみる安心して、奴に抱えられて眠り始める始末だ。
竜胆ももっと警戒心を持つべきだ。心配している、俺の身にもなって欲しいものだ。
俺が奪っておかなければ、「連れて」行かれたかもしれぬというのに。
それに…何故近頃の彼女は、何処か物憂げなのか。
先までの慌てぶりも、不自然さも、全てがわからない。
心を読んでしまえばいいのだろうが、それは約束を破ることになる。
それに…うつろう人の感情も、面白いと。
この人間ならば面白いと、そう思える。
そっと近寄ってみても、竜胆は起きる気配が無い。
肩を掴んで、仰向けにしてみる…が、矢張り熟睡している。
心身ともに疲弊しているのは、ずっと感じて取れた。
魂が弱るということは、実は人間にとって一種の危機状態である。
今は眠るがいい。眠りは全てを誤魔化し、曖昧にさせ、気力を取り戻させるのだから。
無防備な人間。手足を投げ出し、枕を抱え込むようにして、ただ泥のように眠っている。
薄く開いた唇に、泉薫の気配が幽かに見て取れた。
口づけは一種の思念の放流のようだ。
その気配は今も竜胆の肉体に纏わりついて、彼女を侵食する。
人間が何故口づけなどをしたがるのか、俺は全く理解出来ない。
相手に一体、何をさせようと言うのだろう。
竜胆は知っているのだろう。ならば何故、知らぬふりをするのか。
「解らぬ奴め…」
額にかかった髪を払ってやり、ふと俺は、あることを思いついた。
竜胆の顔の両脇に手を付き、身をかがめる。
間近で見る竜胆の寝顔は安寧そのもので、こうしていると本当に赤子のようである。
普段五月蝿い唇も薄く開かれただけで、今は眠りの気配を零れさせるのみだ。
そうして俺は一層身をかがめ…思いのほか柔らかな、竜胆の紅い唇の味を知る。
まるでそれは新緑のように繊細でしなやかで、けれども酷く人間を意識させるものだった。
元々強い実態を持たなくともよい俺にしてみれば、遥か昔、物体の頃の記憶を思い起こさせる。
…そう。例えるなら…蜜の味だろうか。
唇を開放しても、竜胆は起きる気配が無い。
「無防備な人間だ…」
くっと喉で笑って、泉の気配の消えかけた唇を、
泉というもの全てを除去するようにもう一度口付ける。
「…ん……」
先程よりも長い口づけの所為か、竜胆が幽かに苦しそうに身じろいだ。
暫くその様を楽しんで開放してやると、泉の気配は綺麗に消え去っていた。
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