16.その腕
運命の日を待っているような心地がする。
あれから随分と緩慢に一日一日が過ぎて、天海先輩にも泉君にも真貴さんにも…
……百にも会っていない。
日がな一日、窓の外を眺めてぼんやりしてるだけ。
そろそろ学校も始まり、この長かった夏休みも終わる。
残り一週間の夏休み。神様と一緒に居た夏休み。
今までの頻度からは不自然なほど、百は姿を見せなかった。
それはもしかして、真貴さんが百に何かを伝えて、
それによってもう百が永久に来ないことを示しているのかもしれない。
読んでもいないのに開いていた本を閉じて、また溜息を一つ零す。
はぁ…。
机に突っ伏して、何かが来ることを待つ日々。
分っている。そんなのは。
百が来ること。
何かアクションがあること。
けれど、またこうして待つだけなのだろうか。
いつも私は待つだけだ。
百を追いかけて行きたいのに、どうしたらいいのか分らない。
心中で何度も百を呼ぶことくらい。
「…百…」
声に出して呟くと、急にヤツとの色んな思い出が蘇る。
プール行ったり、泊まりに行ったり、海に行ったり、夜な夜なBL小説読んだり。
知らず苦い笑みを零しながら、また百を想った。
好き、なんだなぁ。会いたくてしょうがない。
どうせもう会うことが出来ないのなら、今度もしもう一度会えたら、
思い切って想いを伝えてみようか。
それ以前に、百と辿るのなら、私はどんな結末でも受け入れるつもりだった…
…のかもしれない。
今までそんなに恋愛経験は無いし、ましてこの恋が実るはずもなかったのに。
一人大袈裟に、そんなことを想った。
真貴さんは本当に心配してくれていたのだろう。
どんな結末なのかも、きっと知りえていたのだ。
私には分らない結末。
でもきっと、私が永久に振られるとか、そういう結末だったんだろう。
もし…万に一つ百も私を好きでいてくれたとしても、
真貴さんの言うように、人間のような幸せを手にするわけではなかったのだろうし。
けれど…もう一度だけでもいいから、会いたい。
あの得意げな笑みを見たい。
『何をしているのだ、竜胆。しゃきっとせぬか』
そんなことを言って、いつもみたいにじゃれて。
どうでもいい話をして、また馬鹿やって、笑う百が居て、馬鹿にされて怒る私が居て。
それからまた何処かに行って、2人で。
ぴーーーーーんぽーーーーーーん…
………。
…ちょっと、乙女が悲しみと思い出に耽っているのに、邪魔しないでよ。
私は今傷心中です。こんな痛み、マグロの一本釣りでも癒されはいない。
…いや、多分ちょっとは元気になるだろうけど。
いつかナマで見てみたいなんてそんなことはないけど。
…とにかく、母も父もいないので、無視。
ぴーんぽーんぴーんぽーん
…五月蝿いわね。
大人しく引き下がってよ。
ぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴーーーんぽーーんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽん
「……っだあああ!!!るせェ!!!!!!!」
がばりと起き上がり、猛然と階段を下りて玄関に向かう。
どうせこの時間なら宅配便か何かだろう。
畜生宅配便め。血祭りにあげてやる!しつこいにも程があるんだよ!!
「はいはい!!今出る!!」
玄関の鍵を乱暴に外し、どがん、とドアを開ける。
と。
動きが止まる。
怒りの形相のまま。
いや寧ろ動きが止まった…というよりも、
凍りついた、に近いと思う。
「竜胆」
呼ぶ声はまさにいつもの、あの声のはずなのに。
私がずっと渇望してた、あの声。
聞き違えるはずもない、あの声。
「竜胆、遊びに来てやったぞ」
何故、その手は緑に染まっているの?
何故、その瞳は金色に光っているの?
何故、その背中から翼が生えているの?
恐ろしさに身を竦ませ、私はその場に縫い付けられたように動けなくなる。
見開いた瞳はしっかりとその姿を確認しているのに、脳が理解することを拒む。
ガクガクと足が震えだして、背中に妙な汗が流れた。
「……百……?」
あの綺麗だった漆黒の髪は長く血のように垂れ差がり、その奥で爛々と光る金色の瞳。
僅かに見える口元からは、鋭く長い犬歯。
『ソレ』の肌を突き破る豊か過ぎる植物の群れ。冷たすぎる緑。
その奥にそびえるようにして見える、巨大な緑の翼。
淡く光を反射しながら、それは不気味にうごめいていた。
「…どうした?」
いつもみたいにあの綺麗な声でそう告げて、『ソレ』…百は、私に手を伸ばす。
私はそれから逃れようともせずに…いや、逃れられずに、黙って受け入れる。
震える頬にそのひんやりとした感触が当たった瞬間に、思わず肩がびくつく。
「…っ」
顔がひきつっているのを感じながら、私は背中に嫌な汗が流れるのを感じた。
動くことも出来ず、目の前のこの…存在に、恐れている。
そして…かすれきった喉から、幽かな音が漏れる。
「…っ…百…なの…?」
変に上ずった声が、狭い玄関の中でやたら響いた。
頭の中でわんわんと、何かが響いては消えてゆく。
その間にも頬に触れる手は、まるで大切なものを慈しむように優しく撫でている。
「竜胆…」
多分、こんな様子じゃなきゃ、こんな状況じゃなかったら、私は嬉しくて嬉しくて舞い上がっていただろう。
けど、今の私はとてもじゃないが、喜ぶことも…まして何かを冷静に考えることすら出来なかった。
もう一方の腕が伸ばされたことにも気付かず、私はただ…おぞましい百の姿を見上げていた。
伸ばされた腕はそのまま私の腰に周り、硬直した身体は倒れこむように引き寄せられる。
頬をなでていた手が後頭部にきて、私は百に抱きしめられた状態になる。
がちがちと、自分の歯の鳴る音がする。指先もかたかたと細かく震えていた。
それなのに…こんなに怖いのに…私は逃げられない。
痛いくらいにこれだけは分る。
相手が、違えるはずも無く…百だから。
ちょっと様子がおかしいけど…ちょっと見た目が怖すぎるけど…百だから。
「百……ど、どう、しちゃったの……」
か細い声に反応したように、百がぎゅっと腕に力をこめた。
ちょっと痛いけど…もうそんなこと、どうだっていいい。
「…ぃ、いつもの、姿じゃ、ないんだね…」
彼は百だ。私の大事な人なのだ。
いつもみたいに、してなくちゃ。
…怖いけど、それは見た目だけ。『百』のことは、全然怖くなどない。
大好きだから。
「なぁ竜胆…」
質問には答えず、百が私の肩口に顔を埋めた。
さわさわと、不思議な感触がして…思わずぞくりと身を震わせる。
けれど…怯えているんじゃないんだと表現したくて、私は百の背に自分から腕を回した。
震えてはいるけれど、届いて欲しかった。
「お前は…俺が好きなのだろう?」
ああ、やっぱり。なんてことを、何処かで思った。
そして、もう隠しておく必要はないと。
一つ息を吸い込んで…私はありったけの気持ちをこめて、百の金色の瞳を見つめた。
「うん…大好きだよ、百のこと…ずっと、ずっと好きだったよ…!」
言っている内に何故か涙が溢れて、私の視界は急激にぼやける。
何でだろう。突然こんな姿で現れた百に突然抱きしめられて、突然こんな告白をして。
気持ちが昂ぶっているからなのだろうか、何故か次から次に涙が溢れてくる。
奥で瞬く金色の瞳が、じっと私を見つめてる。
「…竜胆ちゃん…本当に?」
私の背後で、突然声がした。
急いで首だけで振り返ると、全くいつもとは違う空気を纏った、真貴さん。
緊迫している為だろうか、彼の瞳も水を思わせる淡い水色に発光している。
「真貴さん…!!」
何時の間に居たのだろうかと驚く私を他所に、百は身体が折れそうな程強い力で私を拘束する。
それに構うことなく、真貴さんは吐き捨てる。
「百のスイッチを押したんだ、私がね…それが、百の姿だ。
神なんて所詮、こんなもんなのさ…それでもいいのかい?」
スイッチ…?
どういうこと、と首を傾げる私には構わず、
真貴さんが百と私を見比べるようにしながら問う。
それでも、好きでいられるのか。ということを。
「…神の寵愛を受けるということは…永久の死を意味する。
君を自分の世界へ連れて、もう二度とその輪廻の輪には返さない。
君はもう永久に、命を与えられない」
独り言のように呟く真貴さんの言葉の意味を私が理解するより早く、百が動いていた。
「…黙れ」
唸るように言った百が、物凄い風圧を起こしながら翼で舞い上がる。
辺りにあった家具をなぎ倒し、風圧でドアが無理やりに開いた。
そして彼に抱きしめられていた私も身体が浮き上がり、何を…と思った瞬間、
…何て言えばいいんだろう。
細胞がばらばらになるような感触。というか、何と言うか。
急に足場がなくなるような感じが、体中を駆け抜けた。
その間にも辺りはいよいよ風を受けて吹っ飛んでいく。
靴箱の上に置いてあった花瓶が靴箱ごと飛んでしまったのか、遠くでがしゃんと割れる音が聞こえた。
あああ。家の中が滅茶苦茶になってく…。
「待て百!!逃げるのか!」
しかし真貴さんだけは、その強風を受けても尚、毅然としてその場に立っている。
髪だけがゆらゆらと水面のように揺れているだけだ。
「黙れと言っている…!!」
互いに切羽詰ったように言いながら、百が真貴さんに向かって腕を振り上げた。
するとかまいたちのような…何か目に見えない衝撃波が真貴さんに襲い掛かる。
が、既に真貴さんの居た場所には誰もおらず…その衝撃波は玄関を突き抜けた居間の壁に当たり、
その壁すら破壊して屋外へと消えていった。
…父さんや母さん、悲しむだろうなぁ。確かまだローン終わってないはずなのに…。
暢気に一瞬だけそんなことを思った矢先。
「百…彼女を離せ。私を本気で怒らせれば、いくらお前とてただでは済まないよ…」
呟くような声が何処からともなく聞こえ、百がちっと軽く舌打ちする。
そして今度は急に百が私の方に向き直り、何かをそっと囁いた。
が…強い風で何も聞こえない。
「え?!何、ちょっと聞こえない!」
思わず状況も忘れて大声で聞き返すと、百がちょっと笑ったようだった。
そして今度は、はっきり聞こえた。
「竜胆、俺と共に消えてくれ」
一瞬この暴風も真貴さんの存在も忘れて…ついでに今の百の化け物風ルックも忘れて…。
ぽかんと口を開けてしまった。
そして次の瞬間。
「ええええええ??!!ちょ、や、え?!いや、消えるのは勘弁!!!」
いやだー。と絶叫しまくる私にはお構いナシに、百様は玄関から外へと飛び立つ。
相変わらず飛ぶことなんざ慣れちゃいない私は、驚きと共に大絶叫。
「いやああああああ!!!飛ぶのはナシいいいいいい!!!!」
いいいいい、と絶叫しまくる私を抱えたまま…嗚呼。
地上3Mくらい浮いた状態のまま、百は私を今一度ぎゅっと抱きしめた。
そして…なんてことだろう。
あの細胞がばらばらになってくような感触が、現実のものとなってしまった。
そう…現実に、私は足や手の先から、ぱらぱらと消えてゆく…。
「っ…!!!!」
私が一連のことの驚きで何か言う前に、そのまま声すら大気に溶ける。
そう…本当に、溶けてしまったのだ。
私の腕や足は見る見る消えてゆき、
見上げた百も崩落するようにぱらぱらとかき消されていくではないか!
嗚呼、私の短い人生は、こんな風にありえない状況で終わってくのか…。
早速世を儚んで百の顔を見上げれば、彼はこんな状況でも私を見て不敵に笑っている。
勝ち誇ったように。
…この神様ときたら、少しは何かこう、感慨でもあればいいのに…。
けどそれが何だか姿こそ大きく違うけど、いつもの百らしく見えて…
そして…遂に手足が全て一瞬のうちに消え失せて…私は意識を手放した。
目蓋の裏、不敵に笑う百の姿だけを感じ取りながら。
**********
ゆらゆらと、彷徨っている。
何かが私の身体を拘束していたが、それがゆるゆると緩くなった。
暗闇とも、深い緑ともいえない…何かの中。
そうして一瞬の後、一気に空気が変わる。馴染んだ、現実の空気。
急に肉体の感覚が戻ってきて、私はぴくりと指先を動かす。
…死んでなかったわけね。
てっきりあの時、死ぬんだと思ってた。
…もしかして、もう死んでるとか?てことは、私は天国か地獄に居るってことか。
冷たい木の床の感触を頬に感じながら、私はうっすらと目を開ける。
まず見えたのは、金色の祭壇。
眩しくて、思わず再び目を閉じる。
光を遮ろうと手を翳し、もう一度目を開けようとしたとき…
ぜいぜいと、むせるように息をする声。
「……っはぁ…はぁ…」
今度は慎重に薄く瞳を開けて、手を翳す。
矢張り見えたのは金色の祭壇。蝋燭の炎が金色に発光している所為で、いよいよ祭壇は金色に輝いて見える。
…しかし、この景色は何処かで…と記憶を辿り、覚醒したばかりのまどろむ思考で、思い当たる。
そうだ…百の住む所。あの神社の社の中だ。
と、考えている間にも私の背後で酷く咳き込む音がする。
慌てて振り返ると…其処には、先ほどまでの…百。
その巨大な身体を折るようにして蹲り、酷く苦しそうだ。
「百…!!大丈夫?苦しいの??」
最早その姿を恐れることもせずに駆け寄り、一気に頭の中が覚醒していく。
見た所何処にもケガはなさそうだが…。
「…何、心配するでない…う、げほっ…この姿では…上手く行かぬ…」
何のことを言っているのかはサッパリだが、とりあえず痛いのなら大変だ。お医者様だ。
…けど、神様はお医者様にも治せないだろうしなぁ…。
あああ。どうしよう。
わたわたと慌ててみるが、結局どうすることも出来ずに、百の背に手を置いてさする。
「…百ぅ…あああ、どうしたらいいんだろ…何か私に出来ることってある…?」
引き続き大混乱のままで問えば、百が息を整えながらちょっと考え込むように宙を見つめる。
「……いや…今しばらく待て…そろそろ、だ…」
と、百が小さく呟いた次の瞬間。
瞬きする間、とはこのことだろう。
本当に私が瞬きした次の瞬間には…あのいつもの百が、其処に居た。
まるで最初からそうだったように、全てが夢だったみたいに、突然。
あの翼も肌を突き破る植物も、犬歯も長すぎる髪も…全てが、なくなっている。
驚きに声も出ない私を肩越しにちらりと見て、百はうっすらと、流し目のままで笑む。
「…そう呆けた顔をするでない」
「な…そ、そんなこと言ったって…何、何したのよ?!」
先ほどとは打って変わって、苦しさなど微塵も感じさせず…
まして、いつもの余裕すら見える表情で、百が上体を起こした。
「奴にな…ちょっと小細工を仕掛けられたのさ。それであの姿になっていたまでよ。
とは言っても、あの程度の力では、そうそう俺を自由にはしておけまいて」
ふぅ、と息を吐きながら、ちょっとおどけながらように片方の眉をあげてみせる。
一気に肩の力が抜ける想いをしながら、とりあえず私も安堵の息を吐く。
「…何ソレ、全然分んないけど…でも、真貴さんが言ってたスイッチがどうのってヤツ?」
「まぁ、そういうことだ。それが押されると、俺はこの姿を保てなくなる。
が…今回は奴が俺に意図的にあの姿に変えたのさ。人間で言う、催眠状態というヤツか。
それに、あの姿では力を使いすぎてな…先の空間転送ですら、大分キたな」
…あの身体が粉々になってくアレは、空間転送というのか。
首や肩を回して…大分人間的な仕草をしているけども、なかなかお疲れの模様だ。
しかし…てことはつまり、真貴さんが百にあの姿になるように催眠をかけたわけだ。
それでまんまと引っ掛かっちゃったドジな百が催眠状態で暴れまくって…
けど、真貴さんの催眠が解けたから、今はこの姿に戻れたと…?
ううん。何だかよくわからない。
「…そもそも、何で真貴さんがあんたに催眠かけたのよ?」
百はいつものように気だるげに床に手を着いて座りながら、横目で私を見やる。
「俺がお前に近づくのを、阻止しようとしたのさ。
神は一人の人間にこだわりすぎてはいけない…」
独り言かつ、どうでもいいことのように呟いて、鼻で笑う。
そんなんでいいのかね、この神様は…。
けど、やっぱり真貴さんは百にもそんなことを言っていたんだ。
…もう、会ってはいけないと。
思い出して、表情が曇るのが自分でも分った。
けどそれを悟られたくなくて俯く。
「…ねぇ、百。私、もう百に会わないほうがいいの?」
意を決して言った私の台詞を聞いているのかいないのか、百はまたちらと視線をよこす。
それが百が拒んでいるような気がして…その沈黙が辛くて。尚も言い募る。
「…もう一緒に、遊べないの?一緒に居ちゃ駄目なの?」
これじゃまるで、子どもの我侭だと思った。けど。
百が言うなら、引き下がろうと思った。真貴さんじゃなくて、百との間のことなんだから。
誰でもない、百がそう言うのであれば…。
ごくりと唾を嚥下して、百の言葉を待った。
そして暫しの沈黙の後…百が私の顔を除きこむようにして微笑む。
「何故?お前は俺が好きなんだろう?」
途端。忘れていた光景が蘇る。
そうだ。私は確かにあの時、百が催眠状態の時…!!!
『うん…大好きだよ、百のこと…ずっと、ずっと好きだったよ…!』
思い出して、ぼぼぼぼっと顔が赤くのなるのが分った。
「い、いや!!その!!あれはだね!!!うん!!!」
無意識に百から後ずさりしながら、必死に言い訳を考える。
いや、言い訳するこたないんだけど…。
ただ、恥ずかしくて死にそう。
大体、あの状況の言葉をどうして百が覚えてるんだ!
催眠状態の時の記憶なんか忘れてやがれ!!
「あれは、何だ?嘘なのか?」
距離が縮まらないと思って見てみれば、私に合わせて百も私ににじり寄ってきてるし!!
凄く嫌味な笑みを浮かべてる辺り、性格が悪いとしか思えない!!!
「いやーっはっはっは!!!どどどど、ど、どうだろうね?!Ha-Ha-Ha!!!」
逃げたい一心で後ずさりしていたのが悪かったのか、
それともやたらゴキゲンな笑い方をしたのがマズかったのか…。
無情にも私の背が、壁に当たる。
四つんばいで私を追い詰めた百が、間近で私を見下ろす。
綺麗で吸い込まれそうな、あの漆黒で切れ長の瞳。狐みたいに光ってる。
「どうなのだ…?」
多分私は今、赤いのを通り越して蒼白だ。
緊張して、最早何も言えない。ただ魅入られたように百の瞳を見てるだけ。
だって、だって、近いよ!!!
私の顔に百の影がかかって…鼻先がくっつきそう。
しんと静まり返った部屋で、私は息を殺すようにしながら百から目を逸らす。
何か…何か言わなければ!!ドキドキで死ぬ!!
「…えっと…あの…と、とりあえず離れよ、ね…?」
顔を逸らすようにして言った私に百は何を思ったか…徐に手を伸ばす。
「…!!」
咄嗟にぎゅっと目を瞑った私の頬に、優しく触れる感触。
そして思い出す、あの時…百も確かにこうやって私に触れて、その後…。
おそるおそる瞳を開いて百を見れば、あの瞳が綺麗に弧を描いている。
全て見透かすような、その色。
ゆっくりと、スローモーションにでもなったみたいに、百のもう一方の腕が伸ばされて
私の腰を捉えた。
途端に熱が体中を駆け巡って、どうしようもない感じ。
思わず眩暈を感じながら、百の顔が見られなくなる。
百が触れた部分から、熱が湧き上がるみたい。
頭は恍惚としてるみたいに曖昧なのに、感覚が極端に過敏になっているのが分った。
どうしようもない。
私は、どうしようもないのだ。
抗うには、あまりに甘美過ぎて、彼が好き過ぎる。
多分ほんの少しの力なのだろう、彼が少しだけ私の方へと引き寄せると、
まるで自分の身体じゃないみたいに彼の方へと倒れこむ。
百の肩口に顔を埋めて、私は自然とその白い着衣を握り締めた。
何だか全てに現実味が無くて…あの時とも、今までのどの時とも全然違う。
百は私を、抱きしめてくれてる。
その事実に頭も心臓もパンク寸前。
百は私の背に腕を回し、座った状態のままじっと私を抱きしめてる。
もう何も言葉が無い…というより、思考そのものを何処かへやってしまった私は、
ただ離したくないとでも言うように、百の着衣を握り締めてるだけだ。
「竜胆…」
初めて聞いた気がする。百のこんな声。
なんていうか…低くて、包み込むような、優しさに満ちた声。
少しだけ腕が緩んで、百の顔が見えた。
その顔は笑ってなくて、真剣に私のことを見てた。
…自分がこの熱でどろどろに溶けてしまうような錯覚を起こす。
「竜胆…今一度、俺に言ってくれ」
言った後、また私を引き寄せるから、また互いの表情が見えなくなる。
そして私は…今度こそ、意を決した。
つづく
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