3・正体
ぜぇぜぇと肩で息をしながら、私は竹筒の中に入っている水を一気に飲み干した。
その竹筒を百に押し付けるようにして返して、私はまたぐったりと壁に寄りかかった。
今私がいるのは…山奥にある神社。
アレから急降下した後、私はま気を失う寸前で着地した。
そうして来たのが…この神社というわけ。
百はきっと、疲れたという私を気遣って、わざわざお空を飛んでくれたのだということは解るが、
それは私を向こう岸に連れて行きそうな程疲れさせる結果になってしまった。
今もこの急展開についてゆけず、ぐったりと夢と現実の間を彷徨っている。
そうして何処から取り出したのか、百はとりあえず私に落ち着くよう言い聞かせ、
水を出してくれた。
「少しは落ち着いたか」
百はまるで何もなかったかのように聞いてくるが、私はそれに首を横に振ることでしか
返事が出来なかった。
とてもまともに返事などしていられない。
…私は、空を飛んでしまった。普通では絶対ありえないことだ…。
そして何より…
「あんた、一体…ナニモノ…」
普通は、普通の人は、勿論空を飛ぶことなど不可能だ。
いくら馬鹿な私でも、それぐらいのことはわかる。
「さぁな。何だと思う?」
知りません。だから聞いたんです。
得意げにふんぞり返る百に、うろんげな視線だけを向ける。
「まぁそれもそうか…まぁ、言ってしまえば、神様だ」
ああ自分でサマ付けしますか……
…へぇ…………神様ねぇ………いいご身分で………。
…道理で飛べるわけだ…がってん…。
…って、神様???!!!
気持ち悪さも忘れ、がばっと起き上がり、まじまじと穴が開くほど彼を見つめる。
「今…神様って言った?!」
「言った」
飄々と答える彼は、だからどうした、という瞳で私を見返す。
「う、嘘つくんじゃない!!あんたが神様だったら、私は仏だ!!」
「…お前、仏馬鹿にしているだろう?」
何だか的外れなことを言われながら、私はぶんぶんと首を振る。
けれど、百はまだ居るし…さっき空を飛んだときの、あの浮遊感が、未だ身体に残っている。
…嘘では、ないようだ。
そう。それに…彼の意味不明な言動も、これで全て辻褄が合ってしまう。
何とか頭の整理を付けようと、手で顔を覆って考え込む。
「あー…神様に会っちゃったよー…どうしよー…」
「どうもこうもあるか」
それもそうだ。百の見た目はただの美人だし。話していてもただの奇人どまりだ。
それに、知り合いになってしまったし、一緒に空まで飛んでしまったし、
何かちょっと…仲良くなれそうだし。
「ふ…竜胆、お前とは特別に、仲良くしてやろう」
相変わらず思考を読んだ上で、こうして言ってくる。
いい奴なのか、意地悪な奴なのか…神様も色々あんのね。
と、そこでふとまた思い出す。
「そういえば…百は、何の神様なの?」
この辺には一杯なんかが奉ってあるみたいだけど…。
「先にも言ったが、この辺の森を治める神だ…まぁ、今となっては、あまりすることもないがな」
どうでもいいことのように言った後、今私たちが居る神社を見上げた。
「此処が俺の住む…というより、お前の言う奉ってある場所、だな」
ふぅんと呟き、私も一緒になって見上げる。
随分古いのだろう。酷く年月を感じさせる木造の神社は、ずっしりと重く、
この場所に佇んでいる。
手入れのされていない石畳の隙間から伸びる白い花が、暗い森と神社の中、
発光しているように際立っている。
よくよく見れば、一面にその花が咲いている。
漸く冷静になってきて辺りを見渡し、私はやっと一息つく。
「綺麗だね…」
視線と口をついて出た言葉を、自分の中で反芻するように頷く。
「そうだな。俺も暫く此処には来ていなかったが、此処はいつでも美しい」
百も私の座る、神社の階段の所に座り、辺りを見渡す。
でも、来てなかったって…確か初めて会った時も私に案内させてたけど…。
「近頃まで知人の所で厄介ごとを頼まれていたのだ。
それが漸く終わって戻って来たはいいが…入り口の場所を忘れてな。
そこで丁度お前に会ったのだ。この町の住人と俺との意識は直接に繫がっているからな。
お前がこの地域に来たことだけは知っていた。どの辺りに住居を構えているのかも、な」
で、彼の話によると…どうやら私の家の庭から続く道、丁度さっき私たちが入ってきた場所ら辺が、
入り口になっているらしい。
入り口というのも、此処は現実世界と同じ場所にはあるが、少し違う領域らしいのだ。
所謂、神々の領域というやつだ。百のような神様が通ると其処は入り口になり、
普通の人が通ると、何も起きないんだそうな。
…てことは、私のいつでも百に会える計画は、台無しだ。
でも…神様って言っても、自分の家の入り口忘れるようじゃ、ただの馬鹿じゃない。
なんて思うのもばっちり筒抜けだろうけど、思わずにはいられない。
「…ふぅん」
頬杖を付いて彼を見上げれば、百は心外だとでも言う風に首をすくめた。
「お前今、神様馬鹿にしただろう?」
「それズルイよね。心が読まれるんなら、人権も何も無いじゃない」
はぁ、とこれ見よがしに溜息をつけば、またからかうように顔を覗き込んでくる。
…彼の仕草は随分と人間的だ。
「読まずにいてやろうか?お前だけ特別だ。
神様にそう言ってもらえることなど、そうそう無いぞ?」
もう相手するの疲れた、と「あー、そうそう。そうして」と投げやりに呟いた私に、
百はまた上体を起こして腕を組む。
どうやら若干拗ねたようだ。拗ねる神様ってどうなのよ…とまた、内心溜息をついた私に
「ふむ。大体なぁ、俺が此処に人間を連れてきた時点で、結構凄いことなのだぞ」
「…そうなの?」
「そうだ。だがお前は面白そうだった」
そんな理由で自分の領域にまで人間連れ込んでいーんかい、という突っ込みに、
彼はまた俺の自由だ。とふんぞり返る。
「大体ね…百は神様なんでしょ?それなのにどーしてイン●ンとか知ってんのよ」
「お前なぁ。俺とて娯楽くらい欲しいのだ。神なんて今は人のようにTVも見ているさ」
…マジで?
「マジで」
なかなか神様のお宅もハイテクのようだ。
きっとアレだ。下っ端の神様に自転車で自家発電とかしてもらって、
偉い神様はせんべい食いながら「笑っていいかも?」とか見てるんだ。
それを想像すると…やっぱり面白い。
思わずむふふと笑っていると、百が馬鹿にしたような目で見つめているのが解った。
とそこで、彼はふと(私から見れば真っ青な)空を見上げて、徐に手を差し出してきた。
「そろそろ人間界では夕暮れだ…送るぞ」
もしやまた飛ぶんじゃ…という風に、私は思い切り顔を顰めた。
心を読むまでも無くそれは彼にも伝わったようで
「……飛ばぬ」
「本当?」
「本当だ。神が嘘をついて何になる」
「…まぁ、そうなのかなぁ…」
多少訝しく思いながらも手を取り、立ち上がる。
すると、彼は普通に歩き始めるではないか。割烹着姿のオバチャンの手を引いて。
特別どうということはないのだろうけど…初めて男の人(?)と手を繋いでしまった。
しかも相手は神様で、一応性別はありそうな感じだが、人ではないし。
これってなかなか凄いことなのかもなぁ、と思いつつ、思いついたことが口をつく。
「……でもさぁ、これだと物凄く時間掛かっちゃうんでしょ?」
だって来るとき滅茶苦茶歩いたし。
少し前で私の手を引く百は、振り返らずにざくざくと進んでゆく。
「お前は神を何と心得る」
「さ、さぁ…何でも出来る、凄いモノかなぁ…」
たどたどしい私の答えに、表情こそ見えないものの、彼がくっと喉で笑ったのが解った。
反射的になによっと言い返そうとした私を、それより先に百の声が遮る。
「まぁ当たらずとも遠からず、といった所だ…そら、もう着くぞ」
「はぁ?!」
驚いて前方を見れば、確かに…木々に囲まれた出口の先に、家の庭が見えている。
「……凄いのね」
何をしたのかは知らないし…何となく知りたくないけれど純粋に感動して、
前を歩く神様を見上げた。
「まぁな……それより、お前も適当に合わせておけ」
また突然である。
「あわせる…って…何が?」
「直ぐに解る」
それ以上は何も言わず、出口から家の庭へと出る。
此処はもう、現実の世界…と思うと不思議な感じがした。
思わずまた振り返って、今通ってきた入り口を、まじまじと見つめてしまう。
まさかこんな場所に、神様の領域に入れるとは、誰も思いもしないだろう。
知っていたとしても、人間では入れないから…結局意味は無いわけだが。
「何か不思議…」
ぼんやりと私が入り口を見ていると、
「佐野さん!佐野さんでしょ?」
佐野サン…?ああ、私か。
と振り返れば、何処から現れたのか、見知らぬ少年が。
誰だっけ…相手は私のことを知っているみたいだけど…。
その少年は私の方へと駆け寄り、はじめまして、と恥ずかしそうに言うではないか。
「俺、同じクラスの泉っていうんだ。覚えてないかなぁ」
今、偶々此処通りかかってさぁ。此処ずっと空き家だったのに表札見たら佐野ってあったから。
もしかして佐野さん家なのかなぁと思ったら、本当にそうだったんだねぇ。
と。こちらが口を挟む暇も与えない。所謂、ダンガントークというヤツ。
話し終わってはは、と爽やかに笑っているのはいい。
…が、根本的な問題で、私は申し訳ないことに、全く彼のことを記憶していなかった。
「ごめん、ちょっと記憶力に自信なくて…泉君ていうんだ」
これは本当のことで、私は中学校でも三年間同じクラスだった人の大半の名前と顔が
一致していないまま卒業を迎えている。
突然の彼の登場に焦っている私とは対照的に、彼は非常に嬉しそうだ。
が、そこで私の横に視線を移すと、一瞬怪訝そうな顔をする。
…そうだ!!すっかり忘れていたが、私の隣にはまだ百がっ…
いや、でももしかしたらいつかみたいに綺麗サッパリ消えてるかも…?!
「竜胆、こやつはお前のクラスメートなんだな。俺にも紹介したらどうだ」
居る!!何故、居る!!一瞬だけ消えてくれ神様!!
そしてばっちり見られてるのも承知で、百はわざとらしく私に目配せをする。
私はといえば、必要以上に大げさな身振りで、百の背中をばしばし叩きながら、
紹介らしいものをしようと試みる。
もう此処まできたらどうにでもなれ、という気分だ。
畜生。百め。合わせろとはこういうことかっ!!
大方泉君の存在を遠くから感知していたんだろう。
「あ、あはは!!そうだよね!!あああ、ああのね泉君、この人、アレよアレ!!
私の友達!!ね!!この奥に住んでるらしいよ!!今お邪魔させてもらったんだー!!」
「…へぇ、そうなんだ…」
怪訝そうだ。物凄く怪訝そうだ。
そりゃそうだ。こんな変な格好してるうえに、お面二つもつけてるんだから。
そんな人と割烹着姿の私が手を繋いでたら、もうこれは益々解らない。
しかも山奥に住んでるときたら、一体どんな奴なんだと思わない方がおかしい。
更に…
「俺、ずっと此処で育ってきたけど…君みたいな人、見たこと無いんだよね…」
ひぃっ!!泉さん鋭い!!何となく百に向ける視線も鋭い!!
私はもはや戦々恐々としながら百の顔を見上げることしか出来なかった。
それに対し百は、案ずるな、とでもいう風に私の手をぎゅっと握る。
そういえば繋いだまんまだし…。
「俺はあまり里には降りぬからな。それに、最近まで留守にしていた」
だから会うはずも無いな、と締めた百を見て、未だ怪訝そうな顔はしていたが、
泉少年も一応納得してくれたようだ。
ほっと一息ついていると、百が繋いでいる方の手を持ち上げて、
見せ付けるように一度、ぎゅっと握る。そしてそのお美しい顔で綺麗に微笑む。
今度は何するおつもりですかお兄さん…。
「では、竜胆。俺はこれにて失礼する。今日は実に楽しませてもらった。また会おう」
「えェ…?あ、うん…そうだね」
果てしなくぎこちない私を気にも留めず、
言った後手を離し、またがさごそと「入り口」へと消えて行った。
…一応人前じゃ歩いて帰るっていう、知識があるんじゃないの…。
何だか嵐が去った気分。はぁ、と息を付いた私に、泉君が心配そうな顔を見せる。
「佐野さん、大丈夫…?何か疲れてるみたいだけど…」
「あ…いや、大丈夫だよ?」
と此処で初めて泉君の顔をまともに見たが…
「…??どうしたの、佐野さん…?俺の顔になんか付いてる??」
そう。流石にあのいい加減な神様には劣るものの、結構綺麗な顔をしている。
私は見境無く美しいものが好きなようだ。
思わずまじまじと観察していると、彼が少し怪訝そうに一歩下がる。
「な…なに…?」
笑顔が引きつっているが、それでも尚綺麗。
どちらかと言えば、百は中性的で日本っぽい顔立ちだ。狐のように見える。
だが泉君は…西洋風な、目鼻立ちがくっきりとしていて、目もくりくりと大きい。
「…泉君て、可愛いね」
結局出た言葉が、これ。そして言った後に、直ぐ後悔した。
…というのも、私の言葉を聴いた途端、目の前の泉君が、ぼぼぼぼっと顔を赤く染めて、
乙女のように恥らっているではないか!!
流石にこれでは割烹着のオバチャンが口説いているように見えるか?!
いやそれより問題なのは、私よりずっと乙女だってことか?!
悶々としている私と、恥らう泉君。
…恐らく端から見れば、どうしようもない二人だっただろう。
そして更に拍車を掛けるように、恥らう泉君が両手をお腹の辺りで組んだ指を
解いたりをしなながら上目遣いに私を見る。
…背は一応、私の方が低いはずなのに。
「え、えと…ありがと、佐野さん」
言う言葉まで可愛い。何だこれは。もしかして今巷で大流行の萌えキャラってやつか。
私は一瞬くらりと眩暈を感じた。
「あ、あの…突然呼び止めたりして、ごめんね。姿が見えたから、嬉しくなっちゃって」
ああさいですか。
「友達と一緒のところ邪魔しちゃって…」
多分また会える予感がするし、本人もまた会おうとか言ってたし、大丈夫ですよ。
「でもね。俺…何か、ずうずうしいけど、ずっと佐野さんと仲良くなりたくて…」
ああさいで…えぇ?
「え、そう、だったの…??」
全く知らなかった。
…とは言っても、泉君の存在すら気付いてなかった私が言うことじゃないか。
「うん。でも何か、ほら…佐野さんて、何か格好良くて…」
「…格好いい?そうかなぁ…??」
確かにちょっと男っぽいかもしれないけど。と付け足して、自分で苦笑。
「あのね、だから…その、俺でよければ…友達に、なってくれる?」
また、上目遣い。
そうか。この少年。きっと男装の麗人というやつだ。
そうに決まってる。だってそうじゃなきゃ、こんなに可愛い理由が他に見当たらない。
その紅い唇で俺とか言っても、失礼だが全く男らしくない。
そんな面白い友人なら、願っても無いもので。
「あー…うん、その、私でよければ…」
「本当?!嬉しいっ!!じゃあ早速なんだけど…あの…メアド教えて…?」
出たぞ。上目遣い。今鼻血吹きそうになったぞ、私。
可愛い。可愛過ぎるよ、泉君。
勿論と頷いて、彼が私に番号とアドレスが表示された上体の携帯を貸してくれた。
私が必死にそれをメモリーに書き込んでいるとき…
今まで嬉しそうだった彼が、ふと真面目な顔になる。
「あのさ…それで、さっきの友達なんだけど…」
「うん?ああ…あいつね。あいつがどうかしたの?」
巷の子に比べて指が太い上に、未だ携帯の操作が速く出来ない私は、
携帯のディスプレイから目を離せない。
けれども彼の声は少し控えめだが…何だか酷く心配そうだ。
「此処ってさ、この通り田舎だから…あんまり見たことない人って、いないんだよね」
「うーん…そうだよねぇ」
我ながら適当な返事である。そのくらい集中しなければ、私は携帯が打てないのだ。
「うん、だからね…さっきの人…どういう経緯で知り合ったのかは、聞かないし、
本当に余計なお世話かもしれないけど…ちょっと、心配なんだ」
と、漸くそこで総てを入力し終えた。
ぱちんと泉君の携帯を閉じて、彼に返す。
「ん、有難う。後でメールするね」
そう言うと、今まで不安そうだった泉君の表情がぱっと明るくなる。
「うんうん!楽しみにしてるから!!」
そしてそのまま携帯をしまおうとして、時間に気付いたのだろう。
時刻は5時を廻ろうとしていた。
「あ、じゃあ俺そろそろ帰るね。絶対メール送ってね、絶対だよ!!」
はい。そうさせて頂きます。
とばかりに私が頷けば、満足したようにうんうんと頷き、元来た道を駆けていった。
その後姿は果てしなく嬉しそうで、今にもスキップしそうな勢いだ。
私も知らずに笑ってしまった。
*******
何だか今日は色々ありすぎた…。
ベッドにうつぶせに沈みながら、私は苦笑と共に溜息を漏らす。
神様のお家訪問したし、空を飛んだし、美貌の少年と友達になるし。
少し憂鬱だった学校生活も少しは楽しくなりそうだ。
しかし…とまた、思う。
百にまた会うにはどうしたらいいのやら。
百とはまだまだ遊びたい。それに、一緒に居るだけで楽しそうだ。
とりあえず明日も庭弄りをしてみようかなーと、寝返りをうつ。
…ちなみに、頼まれていた庭仕事だが。
結局雑草二本を抜いただけに留まってしまったので、
母親にはばっちり明日もやるように言いつけられている。
願ったり叶ったりだからいいんだけど…。
兎に角、何だか明日も楽しくなりそうだ。
こういう日々が、ずっと続けば面白いのにな。と私はまた少し笑った。
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