モノクロ(モノクローム写真)
100%コットンなどのバライタ印画紙、水彩紙を応用したプリンター用紙(デジタル用)などは独特の風合いがあり、黒や紙の白の発色、色合いはざまざまである。プリンターの高性能化に伴い、デジタルでのモノクロームプリントが多くなった。デジタル写真・デジタル化された写真においては、「カラー」から「モノクローム」への変換は容易である。
100%コットンなどのバライタ印画紙、水彩紙を応用したプリンター用紙(デジタル用)などは独特の風合いがあり、黒や紙の白の発色、色合いはざまざまである。プリンターの高性能化に伴い、デジタルでのモノクロームプリントが多くなった。デジタル写真・デジタル化された写真においては、「カラー」から「モノクローム」への変換は容易である。
カラー写真は1800年代に開発が始まった。初期のカラー実験では像を定着させることができず、更に退色し易かった。初期の高耐光性のカラー写真は1861年に物理学者のジェームズ・クラーク・マックスウェルによって撮影された。
カラー写真は、スライドプロジェクタで使うための陽画の透過フィルムとして像を撮ることもできるし、陽画の焼き付けを作るためのカラー陰画を作ることもできる。自動プリント機器の登場によって、現在では後者が最も大衆的なフィルムである。
初期のカラー写真は、それぞれ異なるカラーフィルターレンズを前面に持った3つのカメラを使うものであった。この技法は暗室や画像処理工程に3系統の処理設備を必要としたので、実用化までにはいかなかった。当時は必要な色に対する適当な感度をもつ乳剤が知られておらずカラーフィルムを製造することができなかったため、ロシア人写真家・プロクジン=ゴルスキーは3枚のカラー写真乾板を連続して素早く撮影する技法を開発した。1900年代に入るとH.W.フォーゲルのような化学者たちの活躍によりついに赤と緑に適当な感度を持つ乳剤が発売された。
1904年フランス人のリュミエール兄弟によって最初のカラー乾板であるオートクローム(Autochrome Lumie`re )が発明され市場に現れた。これは染色したジャガイモデンプンで作られた「スクリーン板」フィルターに基づいたもので、ドイツのアグフア(後のアグフア・ゲバルト)が1916年に染色したアラビアゴムの細粒で作られたフィルターを使用するアグファ・ファルベン・プラッテン(Agfa Farben Platten )を発明するまでは市場における唯一のカラー乾板だった。
1930年、ジョージ・イーストマンは100万ドルの賞金をかけてカラー写真の簡易方法を募集した。音楽家のレオポルド・D・マンネス(Leopold Damrosch Mannes 、1899-1964年)とレオポルド・ゴドフスキー・ジュニア(Leopold Godowsky Jr. 、1900-1983年)[1]は多層乳剤方式のカラーフィルムを考案し応募してコダックに入社、同社の研究陣と協力して1935年最初の近代的なカラーフィルムであるコダクローム(Kodachrome )を発売した。このためコダックは当初コダクロームを「神(God )と人(Man )により創られた」と宣伝していた。日本の最初のカラーフィルムは1940年に小西六写真工業(現コニカミノルタホールディングス)が発表したコダクロームと同方式の「さくら天然色フィルム」であり、続いて富士写真フィルムも「富士発色フィルム」を公表している。
1936年にはアグフアのアグファカラーノイが追従した。アグファカラーノイはIG・ファルベンインドゥストリーにより開発された発色剤を乳剤層に含有させたもので、発色現像が1回で完結されるなどフィルムの処理が大幅に簡略化されていた。コダクロームを除くほとんどの近代的カラーフィルムは、アグファカラーノイの技術に基づいている。
インスタントカラーフィルムは1963年にポラロイドから発売された。