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こんな人を努力の神様は訪問したがる

努力と神様

「いくつになっても、私は未完のまま。未完って、まだできるかもしれないこと、たくさんの可能性を、その手に握っているということですものね。だから未完という状態を、手放したくないわ。失敗もしたし、挫折も数え切れないほど体験したけど、悔いだってたくさんあるけれど、私は未完の自分にほぼ満足しています。私が密かに自分を褒めてやりたいことは、変化を恐れなかったこと。とくに自分が変化することをね」
87歳でなくなられたある短大で教授をされていた女性は、こう言ったあと、「歳をとってよかったことの一つは、何を言っても、それらしく聞こえることよ」と付け加え、首をすくめてクククッと笑った。また、こうも言っていた
「ある時までの私は、人生の失敗は、その人の努力不足からくるものだと思っていたの。鼻持ちならないエリート意識でしょ。そういう考え方が強者の理論でしかないこと、どんな努力してもどうにもならないことも人生にはあり、そんな時に自分をせめても仕方がないのだ、と私に教えてくれたのは、生徒たちだったわ」
何事も、[運×努力×熱意]で決まるというのが私の持論だが、いつまでも情熱を忘れずに何かを求めて努力する時、運の神様が訪れるのではないだろうか?

マキャベリの人運四割をどう生かすか

 池宮彰一郎さんは『四十七人の刺客』の中で大石内蔵助に、「人には生まれついての運がある。人は才能と努力というが、才を発揮する場にめぐり合えるのも運、努力する機に出会うも運だ」
と言わせた。また、城代家老・大野九郎兵衛の逐電を機に雪崩をうって逃亡しはじめた藩士たちを見て、「もっと早いうちに方針を定め、説得すれば、人の心はまだまだ変わった、惜しい有能の士を失った」と惜しむ者たちに、
「止まって志を貫くのが人の仕合せか、去って一生悔いを残すか、それは運だ、人の運は他人の口舌では変えられぬ。去るも運、止まるも運、人は運の岐路に立って道を選ぶ。その先にどのような運の転回があるか、人智の及ぶところではない」とも言わせる。
 マキャベリは「運というものは60%は天の運で、残りの40%が人の運である」といい、塩野七生さんは「40歳以前の運は天与のものである割合が大きいが、40歳以後の運はその人自身のものである場合のほうが大きい」と言った。
 河川が氾濫して被害を受けるのは天運だが、堤防を築く智恵があれば被害を最小に防ぐことができる。

人を褒める勘どころ
 誰にでも立てられ押し上げられる人は、必ず決まって人を褒める勘どころを心得た『訳知り』である。人に嫌われ不遇に陥る扱いにくいタイプは、決して人を褒めない不平屋である。
 そして、誰をも褒めようとせぬ難儀な『口とがらし屋』は、人の長所が目に入らないがゆえに、誰からも何かを学びとる機会がない。洞窟に籠もったようなものだから進歩しない。
 ある人物が発育の可能性があるか否かを試すには、その人が何をどのように褒めるかに耳を傾ければよいのである、と永沢永一さんは語る。
人に褒められて嬉しくない人はない。褒められればやる気も湧いてくるのが人間だ。だから、積極的に褒めたいものだが、褒めるという行為もなかなか難しいものである。
動機が不純な「褒め殺し」というのも世の中にはあるが、それは抜きにして、人を褒めるという行為には、相手に対する深い洞察と愛情が必要である。善悪併せ持つのが人間だが、善い悪いというのは自分の心の持ち方の反映でしかない。その人に好意を持っていれば善く感じられ、悪感情を持っていれば欠点に見えるだけである。
人を好意的に見る気持ちは自然と相手に伝わり、相手の好意をも獲得するのである。


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